ご家族へ

お気持ちはよくわかります。
ただ、子どもは社会の宝、自分の子どもだから何をしてもよいということではありません。
もし、疑問を感じたり無理が生じたときは、どうぞ遠慮なく、ご連絡ください。
■ドーマンの質問
 以下は研究所の思い出の一つです。
あるスタッフミーティングの席でグレン・ドーマンが「もしあなたに脳障害児の子どもが産まれたら研究所のプログラムを行うか」と聞きました。居並ぶスタッフが次々と「イエス、サー」と答えるなかで、私は「I don't know.(わかりません)」と答えました。ドーマンは私が質問を理解していないと思ったのでしょう、「お金持ちであればどうか」とかいろいろいいました。私は貧弱な英語で「それは哲学的な問題だと思います」と私の考えを懸命に伝えようとしました。
私の答えはドーマンには不愉快だったらしく、Adachiはなぜ研究所に来たのかと問題になったようです。また、後で個人的にあなたの考えは非常によくわかるといってくれたスタッフもいました(私と同じように家族と同居してプログラムを行った経験を持つ人でした)。今から思えば、あの出来事が私が研究所と決別する出発点だったのでしょう。
通信17号(94年2月)より
■閉じられた世界の危うさ
−「奇跡の詩人」を再考する−
 昨年4月28日に放送されたNHKスペシャル「奇跡の詩人」は、放送時間がゴールデンタイムであり、大手新聞のテレビ欄が好意的に紹介したということもあってか、14%の高視聴率をマークしたそうです。ご覧になっていない方のために簡単に説明すると、脳障害の少年が厳しいリハビリに励む傍ら、文字盤を使って詩集や本を次々と発表している、その奇跡的な創作活動を紹介するという内容でした。
 私も見ましたが、過去ドーマンがマスコミに登場する度に感じたように、相変わらず一面的な視点だと思いました。そして最も言いたい点を通信67号の編集後記で次のように述べました(02年5月)。
………
 私は「うそか本当か」にはあまり関心がありません。ただ、R君がたとえゆっくりでも自分で文字盤を操作できるのであれば、親御さんは、可能な限り(福祉機器を工夫するなりして)、言語表出については援助の減少を追求するべきでしょう。11歳の子どもと母親が分かちがたく結びついた姿は大切な発達課題を見失っていると思います。
………
 ところが、NHKスペシャルというブランドの威力か、内容が衝撃的であったせいか、反響は「相変わらず…」と思った私の予想を超えるものでした。放送直後から、NHKには感動したという声といっしょに、内容に疑問があるという抗議が殺到し、NHKが別番組やHP上で異例の釈明をするという騒動に発展しました。
 騒動が広がった理由の1つにインターネットの存在もあるでしょう。ネット上の掲示板の1つである「2ちゃんねる」にはこの放送を巡って8万件以上の書き込みが残っています。「2ちゃんねる」の実態がどれほどのものであるのかわかりませんが、やはりたいへんな反響と見るべきでしょう。
 当室にも抗議や糾弾のメールが来るかしらとちょっと期待しましたが、「2ちゃんねるという掲示板でドーマン法などについてまじめに話し合いたいと思っている」という方からHPを引用してもいいですかというメールを受けたくらいで、たいした余波はありませんでした。研究所との違いを理解していただけたのか、あるいは無視されちゃったのか(笑)。
 そんな騒動のなか出版された2冊の本を、少し落ち着いたところで読んでみました。そしてもう一度「奇跡の詩人」について考えました。
ひとが否定されないルール
講談社 1500円 5月7日第1刷発行
異議あり!「奇跡の詩人」
滝本太郎 石井謙一郎 編著
同時代社 1300円 6月28日第1刷発行
 まず、一般に少し理解が足りないかなと思われる点を説明します。人間能力開発研究所は「ドーマン法」ということばを使いません。それはいわばマスコミ用語で、彼らは「The institutes program(研究所のプログラム)」といいます。マスコミは、今回のように、彼らの味方(宣伝)にもなるし敵にもなりますから、ドーマン法と呼ばれるのはあまり快く思っていないでしょう。
 FC(Facilitated Communication)という技法とドーマン法との関係は、研究所のHP(和訳)を見てください。ジャネット・ドーマン(研究所所長)が「92年、脳障害児の意思伝達の手段として導入した。非常に有効な技術であるが脳障害の治療法ではない。FCにより子どもの知的能力を大幅に過小評価していたとわかることが多い」と説明しています。
 彼らの言語障害への取り組みは極めて単純で
・呼吸を改善する
・「神経階層」を(再)編成する
・知識を入力する
という考え方です。では、実際にプログラムに取り組んだすべての脳障害児が音声言語を獲得できるかというと、そうではない。一方、親御さんにとっては、言語は歩行と並んで(それ以上に)たいへん切実な願いです。研究所も何とかニーズに応えたいとするでしょう。FCはそうした事情があって登場した技法だろうと思います。
 さて、「ひとが否定されないルール」を読むと、研究所の主張を直接的、間接的に代弁している部分が多いと気付きます。「脳障害児の私にとって必要な環境は、まず呼吸を整えることでした。脳障害児の私は呼吸がとても浅く、息をするということがとても大変だったのです。それは私だけでなく、たぶんすべての脳障害の子がそうなのです」のくだりは研究所の講義の十八番を聴いているようです。
 私はR君と面識がありませんから、彼の言語能力のいかんはわかりません。しかし、少なくともこの本については、12歳の少年の心的世界というよりも、母親のR君や家族、ドーマンや世間との関係が語られていると感じました。
 「異議あり!奇跡の詩人」には、ドーマン法やFCへの批判、一方的な情報を垂れ流したNHKへの批判、番組を利用して本を売ろうとしている出版社への批判、R君の親が某新興宗教と関係しているのではないかという疑問など、いくつもの異議が申し立てられています。「緊急出版」ということで仕方ないとは思いますが、怒りのパワーは十分伝わるものの、論点の整理不足および突っ込み不足を感じます。
 5編の母親の手記の他、理学療法士、心理学者、小児神経学専門医らの寄稿が掲載されています(父親や同胞の手記も欲しかったなあ)。なかでも、児玉和夫氏(心身障害児総合医療療育センター・むらさき愛育園園長)の特別寄稿には感服しました。医師として長年に渡る診察経験をお持ちであり、ドーマン法にも理解が深い児玉氏の一文は、ご家族の心情に理解を示しながらもドーマン法の問題点を具体的事例を挙げてしっかり指摘します。氏はR君の高い知性に肯定的ですが、FCによることばは母親との「合作」であるとします。そして「学校にも行かず観念世界で過ごすR君が世に出て自分で人間関係を作り出したときに、今までの彼の世界はどうなるのでしょうか。その時お母さんとの関係はどう変化していくのでしょうか」と疑問を呈しています。氏が最も憤慨するのは、幼い妹さんが執筆中のR君に触れている母親の手をおもちゃで叩いたとき90秒間部屋の外に出されるという場面です。確かに泣きじゃくる妹さんを見るのは忍びなかった。同胞の気持ちをよく知っているからこそ、親に対しても、無批判に放送したNHKに対してもあの場面だけはどんなに言い訳しても許せないと怒っています。
 あれはタイムアウトというオペラント技法の1つです。正の強化刺激を剥奪するという罰ですが、当然、罰として適当なものであるかが検討されなければなりません。動くことも話すこともできないR君を育ててきた親御さんが、叩いたり怒鳴ったりしない罰をスマートだと思うのは理解できます。しかし、そこには別の視点や方法があることを助言する人はいなかったのでしょうか。あの場面、私には、母親は泣いている子の姿を見て苦しんでいるように見えたのですが…。
 国際行動分析学会の声明(1995)の通り、「コミュニケーションやその他のスキルを教えるために正しく用いられる手の補助やヒントの提示とFCを混同しないでください」。FCの問題点は「隠れた知的能力を表面化する」という考え方・使い方にあります。
 親御さんが物言わぬお子さんの気持ちをくみ取ろうとするのは自然なことです。それはときとしてはたから見ると思い入れが強すぎるかなという場合もあるでしょう。それはそれでよい。しかし、その時間は決していつまでも続かない。お子さんの人間関係が家族を越えて広がってゆくことがどうしても必要なことであり、大切なことです。R君のことばが本当であるとしても、ドーマンとFCは彼と母親の世界をますます閉じてゆくように見える。それがとても心配です。
 当室は、HPで「ドーマン法を取り入れた家庭でのプログラムを指導します」と謳っています。正直に言って、ここ数年、ドーマンということばを使うことに抵抗を感じてきました。確かに、当室のプログラムや指導システムは研究所から学んだことをたたき台として、あるいは「反面教師」として作ってきたという面があります。そのことに触れないのはウソになってしまうでしょうが、理論やノウハウはすでに乗り越えたという自負もあるのです。私が在籍した当時(20年前になります)と比較して、研究所はずいぶんと変化してきたように思います。ちょうどその頃から呼吸への働きかけが非常に強くなり、そしてFCが導入されました。ベターベビーコースに代表される英才教育への比重が強くなってきたとも思います。そこにはグレン・ドーマンではなく、80年に所長に就任したジャネットの影響を感じます。しかし、所長の交代が変遷の本質的な原因ではないでしょう。閉鎖的な空間がますます閉じてゆくということだと思います。
 今後どんなに批判されても研究所の指導を受けようとする家族は出てくるでしょう。人は説得では変わらない。当室の役割の1つに、ドーマン法に関心を持った家族にセカンドオピニオンを提示すること、研究所をやめた家族に別の視点、次の課題をアドバイスすることがあります。今回の騒動のさなかにも、それに相当するご相談を何件か受けました。そうした役割を負うために、もうしばらくこの謳い文句を続けようと思います。これもまた思い入れが過ぎるでしょうか。
*以下は編集後記から
 著者の滝本氏はオウム真理教の事件で有名な弁護士です。畑違いの人がなぜそんなにムキになるのだろうかと思いましたが、後書きを読んで納得しました。放送の1年ほど前に自閉症のお子さんを交通事故で亡くされています。
 人は必ず「思い」を持つものです。それはその人の「外の世界」との対にある。「異議あり!」を越えて、お子さんとご家族を囲む諸事情についてより多くの人が考えてくれるといいなと思います。
通信72号(03年3月)より